2010-10-24
禺画像]
百済寺から安土城跡までは22Km、
途中「近江商人屋敷」がありましたが時間が
ないので寄らずに安土城跡を目指しました。
彦根城「ひこにゃん」の登場は午後3時半まで、
安土城跡に上ってから彦根城まで行くには
時間的に無理なようなので諦めました。
2時過ぎに到着、「安土城跡」と刻まれた大きな
石柱と案内がありました。
※安土町観光協会[LINK]
禺画像] 禺画像]
駐車場に車を置き平坦な所を歩いて行きます。
禺画像]
この辺りも石垣がたくさん残っています、
天正4年(1576年)織田信長は丹羽長秀を
総普請奉行に据え、標高199mの安土山に
築城工事を開始します。
江姫が元亀4年(1573年)生まれなので
3歳の時でした。
その3年後、天正7年(1579年)には天守閣
(天主閣)をもつ安土城が一応の完成をみます。
原作でもこの時にお市の方と三姉妹が
竣工祝いに安土城へ出向くくだりがあります。
三姉妹の上の二人は父の仇でもある
伯父、信長を嫌っている様子ですが江姫は
仇であることを知らずに育ってきました。
城のそばまで先に走って来た三姉妹は
城警備の侍たちに足止めをされます。
そこへお市の方が馬に乗って現れます。
侍たちを一蹴し驚いている江姫をお市の方は
馬に引き上げます。
受付を通ると目の前には幾重にも積んだ石段の
安土城大手道が迫ってきます。
禺画像]
急な石段なので杖も置いてありました。
禺画像]
左に伝羽柴秀吉邸跡、もう一段高い所にも
秀吉邸跡があります。
禺画像]
右には伝徳川家康邸跡、鐘楼もみえます。
禺画像] 禺画像]
大分上がってきました。
禺画像]
よくこれだけの石を積み上げ城を築いたものだと
驚くばかりです。
禺画像]
この辺りは左右に石段を曲がりながら上がって
行きます。
禺画像]
石仏が所々に見られました。
禺画像]
大手道の上まで来ると年配の女性が二人休んで
いたので少しお話を伺いました。
お二人は「安土城跡」の掃除をされているようで、
「ボランティアですか?」とお尋ねすると
そうではなくいくらか報酬はあるようでした。
安土の方ではなく東近江から来られているようです。
禺画像]
「昔はすぐに湖が見えたんですよ」と干拓事業で
埋め立てる前は安土城の辺りは半島のように湖に
つき出ていたそうです。
※水土里ネット-琵琶湖干拓小中之湖土地改良区[LINK]
確か原作にも安土城や天主閣に上がった三姉妹が
眼下に広がる湖の先の小谷の方角に手を合わせる
シーンがあったと思います。
セ記事を書く
セコメントをする